まず最初に。これは寝起きに思ったことを、順序も何も考えずにつらつらと書き留めたものであり、読みやすさもなんも考慮していない。内容も重い始まりの割に「だからなんなんだ」って感じで、あんまり深いことは書いてないので、期待しないでね。

 

 

 

父親が亡くなってから、2年が経とうとしている。

 

亡くなってから約半年ほどはほぼ毎晩、父親が夢に出てきた。殆どは悪夢だった。がんで衰弱しきった父親の姿に、自分がどれほどショックを受けていたかを、これで思い知った。

 

ほとんどの夢で、僕は父親に謝っていた。過去に僕は父親と色々あり、いつかちゃんと謝りたいと思っていた。その日は来なかった。起きるたびに自分勝手だなと思った。

 

 

半年が経った頃から、徐々に父親が出てくる夢の回数は減っていった。殆どが悪夢だったのに、僕はこれを悲しく思った。夢の中でも、たとえそれが悪夢だったとしても、父親に会えたような気がしたのはなんとなく心の支えになっていた気がした。同時に、父親の記憶が既に薄れてきているという実感もして嫌だった。

 

最近は滅多に父親が夢に出てくることはないし、出てきても悪夢ではない。

 

人間の脳ってすごいなぁと思う。思い返してみれば、ここまでの記憶のフェードアウトの仕方が完璧だった。一番つらいときに寄り添わせて、頃合いを見計らって徐々に手放させてゆく。タイミングもなにもバッチリ。これも、何十億年とかけて培われてきたノウハウの一つなんだろうか。どうなんだろうね。

 

 

なぜこんなことを今書いているのか。それは今日、久々に父親の夢を見たからだ。最近急に暑くなり、頭痛に負けて昼寝をしてしまった。まあ頭痛なんてなくても寝ていたと思うけど。

 

序盤はあんまり覚えていないけど、後半はなんか、図書館のような旅館のような場所にいた。そこには父と母がいた。なんかみんなで旅行していたみたいだ。父親は嬉しそうにカメラを取り出していた。そのファインダーにはCanonの文字が書かれており、縦位置グリップのついたゴツいものだった。最近手に入れたものらしく、試し撮りをしたものを見せてくれた。試し撮りに映っていたものは、斜め左後ろから見るTamronのズームレンズが付いたα6000だった。暗めの部屋に一点の光が差し込んでおり、その暖かい光がカメラに落ちる様子はとても綺麗だった。父親と一緒にその写真を眺めてしばらくニヤニヤしたあと、父親は手ぶれ補正がないのが残念とコメントした。僕はすかさずE-M10を取り出し、やっぱオリンパスなんだなぁ~と、自分のカメラを優しくポンポン叩いた。しばらくして両親の友人と思わしき人が現れ、ご飯に誘われたところで夢から覚めた。

 

夢なので当たり前ではあるが、ツッコミどころが満載であった。と同時に、そういえば...と思うところもあった。Canonが出てきたのは意味不だし、Tamronのズームレンズなんて持っていない。けど、父親が僕のカメラの手ぶれ補正の性能を見て、次はマイクロフォーサーズにしようかな、なんてことを、半分冗談っぽく言っていたのをふと思い出したりもした。

 

寝起きにこんな事を考えていると、ふと夢の中での父親の人格が揺らいでいることにも気がついた。なんかちょっと物悲しくなった。

 

なぜこんなことを今書いているのか。上にも書いたが、もう一つ、理由がある。今じゃないと書けないと思ったからだ。

 

夢を書き留めておきたかった、そう思ったことが一度だけある。

 

僕がまだ小さかった頃、僕は祖母の家に泊まることが多々あったのだが、祖母の家で眠ると、決まって同じ夢を見た... 気がする。今は確証を持てないが、小学生辺りまでは夢の内容までしっかり記憶していた。ティラノサウルスのロボットや、サザエさんのエンディングに出てきそうな形をした、赤い屋根に白い壁の家、今となってはほとんど思い出せない。

 

あまり興味を引くような内容ではないが、これをしっかり思い出せなくなってしまった時が、僕にとって初めて「しっかりとしていた記憶が消える」という経験だった気がする。多分内容よりも、しっかりと覚えていたはずの記憶が消えてしまったことの方に、ショックを受けたような気もする。

 

まあ何が言いたいかというと、忘れないうちに父親が出てきた夢を、書き留めておきたかった、ということである。今回の夢に限らず、なんとなくこの経験を、覚えていられるだけ、覚えていたい、ただそれだけである。ただの僕自身へのメモであるならば、公開なんてする必要もないのだが、公開する理由もなんとなくである。なんとなくでもいいじゃんね?